「死ぬと思っていた年齡以上に生きてしまったときのために、年金はある」
「年金というのは、長生きしすぎたリスクに対してかける保険」と語るのは竹中平蔵氏。言われてみればすごく当たり前のことですが、妙に腑に落ちる言葉です。
竹中平蔵氏は小泉政権時代に経済閣僚として様々な構造改革を断行したことで一躍有名になった人物です。小泉純一郎氏とともに郵政民営化の立役者ともいわれていますね。そんな竹中平蔵氏のインタビューがBLOGOSに掲載されています。このインタビューが非常に面白かったので、是非読まれることをおすすめします。
年金の本質は長生きしすぎたリスクに対してかける保険
引用
年金というのは、生きるリスクに対してかける保険。「90歳まで生きるつもりでそこまでのお金を貯めていたけど、100歳まで生きちゃった」というリスクにかける保険です。
引用:自分が90歳まで生きると思ったら、90歳まで生きる分のお金を自分で貯めておかないとダメ – 「賢人論。」第13回(前編)竹中平蔵氏
年金を「生きるリスクに対してかける保険」であると述べてるのが印象的ですね。
「自分で生きつもりの年齡分のお金は、自分で貯めなさい」
一般的な考え方としては、年金は老後の生活をサポートするための社会保障というもの。65歳になれば誰でももらえて、死ぬまでの生活費の足しにするというイメージです。
一方で、竹中氏は、「自分で生きつもりの年齡分は、自分で貯めろ!」と語っています。そこから「死ぬと思っていた年齡以上に生きてしまったときのために、年金はあるのだ!」という主張につながる。自分が生きようと考えている年齡分の生活費は自分で貯めておき、そこから先は年金でカバーするという考え方です。
賛否両論あると思いますが、「年金は保険と同じ」という考え方が非常に新鮮に思えました。
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老後を十分に過ごせるだけの金融資産を持っていても年金はもらえるという違和感
老後を十分に過ごせるだけの大金(金融資産など)を持っている老人ですら、65歳をすぎれば誰でも一律、年金は支払われます。ここに違和感を感じる人は多いと思います。
竹中平蔵氏の主張するように、「年金は保険と同じ」という発想で考えるならば、そもそも老後を楽に過ごせるだけのお金を持っている老人には払うべきではないでしょう。保険は”不測の事態”にこそ使われるべきです。”不測の事態”とは、自分が想像していた以上に生きてしまった場合です。
不測の事態にこそ年金が活きてくる
老後に必要な資金を計算することは無駄ではないし、意味はあります。しかしその計算には一つの矛盾が潜んでいます。
たとえば90歳まで生きるための必要な老後資金が3000万円だったとします。そして現役時代に頑張って3000万円を貯めたとしましょう。ところが、その3000万円は90歳で底をつきます(投資によるリターンがない場合)。90歳を超えて生きれば、結局生活保護に頼らざるを得なくなるのです。では100歳までの生活費を貯めたとしたら?それでも101歳になればお金はゼロです。
つまりどれほど老後資金の計算をしようが、自分が想定した年齡以上に生きてしまえば、お金はなくなってしまうということです(大金持ちは別)。だからこそ、その「余計に生きた(=不測の事態)」ときの生活費をサポートするために年金が使われるべきだ、というのが竹中氏の主張です。
自分は何歳まで生きるのか?を考え、逆算して必要なお金を貯める
裏を返せば、自分が90歳まで生きると思ったら90歳まで生きる分のお金を自分で貯めておけ、ということ。まさに自己責任が大好きな竹中平蔵氏ならではの考え方ですね。
自分が生きる分だけのお金を自分で貯めることは、簡単ではありません。まずは自分は何歳まで生きるのか?決める必要があります。85歳なのか?90歳なのか?いやいや自分は100歳まで生きる!という人もいるでしょう。自分は何歳まで生きるのか?を考え、逆算して必要なお金をためていくことが求められます。
投資を学び実践するということは、極力国に頼らずに自分の足で立つ(つまり経済的自由を得る)ための第一歩であると考えます。なぜなら給与所得だけでは老後を人間らしく生きることが困難だからです。竹中氏の言うように、「自分の生きる分は自分で責任を持ってお金を貯める!」と胸を張って生きていきたいと思う今日このごろです。